侍塚古墳は那珂川右岸の段丘上に立地し、上侍塚古墳・下侍塚古墳の2基があり、いずれも前方後方墳です。
上侍塚古墳は栃木県内の前方後方墳では、足利市の藤本観音山(ふじもとかんのんやま)古墳に次いで第2位の大きさを誇ります。下侍塚古墳は上侍塚古墳の北方約800メートルの所にあります。
元禄5年(1692)、徳川光圀の命により、日本で最初の学術発掘調査が上下両侍塚古墳で行われました。この調査は現在笠石神社に祀られている那須国造碑(国宝)の碑主を求めての調査でしたが、それを明らかにするものは出てきませんでした。
このとき銅鏡や管玉(くだたま)、壺など多くの遺物が発見されましたが、これらの遺物は画工に図化させた後に松板の箱に収められ、再び墓中に埋め戻されました。上下どちらの後方部墳頂にもその発掘の痕跡が凹地として今もなお残っています。墳丘上には盛土の崩落を防ぐため松が植えられ、現在の美しい景観を形づくっています。こうした光圀の取り組みは、現在の文化財保護対策にも通じるものとされています。
住所 | 栃木県大田原市湯津上430 |
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電話 | 大田原市観光協会:0287-54-1110 大田原市役所文化振興課:0287-98-3768 |
WEBサイト | http://ohtawara.info/index.html(大田原市観光協会) |